yamakeirnsのブログ

趣味のブルベを中心に気の向くままに書き留めていきます。

20BRM919中部1000km後編

20日16:30前に568km地点の新潟/浦佐のホテルに到着し、夕食、翌日の準備を済ませ19時頃就寝し、目が覚めたのは0:30でした。5時間半しっかり睡眠がとれました。当初の予定では17km/h計算で最後の関門の871.1km地点のPC4には1時前に到着することを想定して4時半に再スタートする予定でした。思いのほか早く眼が覚めたので再出発の準備をして、前日買ったパンとバナナと野菜ジュースで軽く朝食をとってからも、少しのんびりして予定よりも1時間早い3:30に再スタートしました。浦佐を出発してしばらくすると小雨気味になり、道路は完全にウェット状態になりました。合羽を着るほどではないと思い、ウィンドブレーカーだけ着て走ります。今回もビンディングシューズは履かずに、軽量なランニングシューズで走っています。メッシュ地の為、しばらく走るとシューズの中が湿ってきました。シューズが湿ったまま走り続けるのは憂鬱ですが、対策はなく、我慢して走り続けます。越後湯沢に到着すると、いよいよ後半の登りのスタートです。越後湯沢の大型リゾートホテルNASPAの豪華さに感心しながら登りを開始します。幸い越後湯沢を過ぎると小雨は止みました。

↓越後湯沢の通り。小雨がぱらつき路面が濡れています。早朝なので誰もいません。

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↓越後湯沢のホテルニューオタニーNESPA。威風堂々とした佇まいです。

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↓越後湯沢から三国峠までいくつかの峠を越えました。写真は火打峠。標高983m

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上杉謙信が関東出兵の際に超えた三国峠までの長い登りです。多分気温は14度前後だったと思いますが、登りのおかげで走っている限りは寒さを感じません。苗場ではお約束の苗場プリンスホテルの写真を撮りましたが、8月16日から12月下旬まで休業とのことで、ひっそりしています。苗場でコンビニを期待しましたが、コンビニはなく、仕方なく自販機でホットコーヒーで一息ついて三国峠を目指します。

↓苗場のシンボル/苗場プリンスホテル。8月中~12月末まで一時休業していました。

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淡々と登っていると三国峠ピークのトンネルが見えてきました。昨年AD近畿の300kmブルベでは群馬側から登坂しましたが、今回は新潟からの登坂でした。激坂ではないですが、越後湯沢からの長い登りには思いのほか時間がかかりました。トンネルの写真を撮っていると、唯一の女性参加者のMさんが追い付いてきました。Mさんは越後湯沢に宿をとり、私と同じようにしっかり休んで再出発したとのことで、元気そうです。

三国峠新潟側ピーク。標高1076m。上杉謙信もここを超えて関東出兵しました。

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長い登りのあとはご褒美区間の長い下りです。越後湯沢ではまだ薄暗かったですが、三国峠ではすっかり明るくなり、早朝で車の交通量も少なく、気持ちよく下ることができました。かなり早い朝食だったので、下り切ったところにあった最初のコンビニでサンドイッチで補給しました。時間は朝の8時過ぎです。サンドイッチを食べているとしばらくしてMさんが勢いよく下って通過していきました。

↓ローソン群馬赤谷湖畔店。三国峠からここまでの下りは最高でした。

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次のチェックポイントはチェックポイントで740.7km地点の軽井沢のコンビニです。通過チェックなので関門時間はありません。途中真田家が気付いた岩櫃城岩櫃山が右手に見え、戦国ファンの私は思わず止まって写真を撮りました。

↓真田家ファンの私には岩櫃山の遠望は感慨深いものがあります。

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軽井沢に向かうR18に出ると、交通量が非常に多くなり、車を注意しての走行になりました。軽井沢の前には碓氷峠が待ち構えます。2年前のAJ宇都宮の600kmブルベで走ったことがあるので、峠の記憶が残っていて助かりました。R18の旧道に入り、2km程走るとめがね橋が見えてきました。4連休なのでいつも以上に観光客が多いようでめがね橋近くの駐車場は満車で、空きを待つ車列ができていました。とりあえずめがね橋も写真だけとって先を急ぎます。

↓R18に出てすぐのコンビニで小休止

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碓氷峠のシンボル、めがね橋。多くの観光客で賑わっていました。

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碓井峠は木陰の中、緩斜面のつづら折りの登りです。後ろから車に気を付けながら、一定テンポで登って行きます。登り切って軽井沢に入ると、車の大渋滞が始まりました。時折歩道に逃げながら車の大渋滞の脇を辛抱強くパスして行きます。軽井沢の中心のお店が並ぶエリアはコロナ禍とは思えないほどの人出でした。

碓氷峠のピーク。標高は960mあります。この先が大渋滞区間でした。

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通過チェックポイントのコンビニに到着したのは15:08でした。関門時間はないですが、あれば、12:20だったので1時間半強のオーバーです。飲み物とゼリーの朝バナナで軽く補給して、今回の1000kmでは最強の麦草峠を目指します。

↓通過チェックのセブンイレブン西軽井沢店。軽井沢渋滞にはげんなりでした。

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嵐の前の静けさで麦草峠までは下り基調で快走できました。765km地点からR141に入ると麦草峠への登りの序章が始まります。R141は交通量が非常に多く、登り基調で、いくつかスノーシェイドもあり、私が苦手な区間です。773.9km地点でR141を右折してK480に入り、松原湖に向かいます。右折してすぐに激坂がはじまりびっくりしました。2km程登って松原湖に到着し、ここからはじまる麦草峠への本格的な登りを前に自販機補給で小休止します。

松原湖近くの交差点を右折し麦草峠へ。18kmの苦行の始まりです。

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この時点で17:30頃で、麦草峠への登りが日没後の暗闇の中になることが確定しました。ここから頂上までは約18km、標高2127mを目指します。松原湖を過ぎても激坂は2km程続き、以降も10%弱の坂が続きます。日没後の為、幸い車の通行は少ないですが、暗闇の中、一人坂と格闘し続けるのは大変でした。心が折れないように標高が100m上がる毎に小休止して、2時間超かけて何とか走破しました。ピーク周辺の気温は7度しかなく、ウィンドブレーカーだけでは寒さをしのげないので、止む無くモンベルの合羽を着て、下ります。

麦草峠のピーク。標高2120mは半端なく、気温7.2度しかありませんでした。

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登りも大変でしたが、冬のような気温の中の長い下りも最悪でした。しかも舗装が悪い箇所が多く、慎重に下る必要がありました。この時、宿をのんびり出発したことを後悔しました。0:30には目が覚めていたので、1:30には出発できていたはずです。そうすれば何とか明るいうちに麦草峠を越えられたので失敗でした。下り切って茅野市街に入って寒さにたまらずにすき家に立ちより、がっつり牛丼補給して体制を立て直しました。

日没の麦草峠越えで思いのほか時間を取られてしまったので、すき家をでてからは、一生懸命走りました。杖突峠もそれなりに勾配があり、距離もあるのでゆっくり登りたかったですが、最後の871.1km地点のPC4のコンビニの関門時間にぎりぎりなので、力を振り絞って登り切ります。杖突峠も標高1247mあり、肌寒い感じです。それでも下りも前傾姿勢を取って極力減速しないように飛ばしに飛ばして走りました。往路走った広域農道、K15に入りしばらく走るとMさんに追いつきました。時間がぎりぎりなことをMさんに伝えて、Mさんも私の後をついてきます。手前にPC4と同じセブンイレブンがあり、無駄に立ち寄って少しロスしましたが、何とか制限時間の21日23:43の2分前にレシートをゲットすることができて間一髪でした。Mさんも間一髪セーフです。PC4には先着していた参加者が3名いました。その3名の中に途中一緒に走ったTさんと和さんがいました。久しぶりの再会で励まされました。和さんもTさんも宿をとらずにここまで走ってきているので顔に疲労感は色濃く出ています。PC4ではおにぎり2個と速攻元気ゼリー、ドリンク補給をします。

↓最後のPC4セブンイレブン駒ヶ根インター店。関門2分前の21日23:41の到着でした。

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しばし歓談してから和さん、Mさん、私の3人で一緒に走ります。幸い、往路は登り基調だったK15は帰路は下り基調で、私を先頭に3人力を振り絞って快調なペースで走ります。飯田のR153まで40km程ありますが、予想よりも早い時間で到着できました。寒原峠、治部坂峠を今度は往路とは逆に飯田側から登坂します。長い登坂になるので、往路昼食をとったローソンで最後の補給を行います。時間は22日の2:35です。カップヌードルとどら焼きで補給しましたが、結果から考えるとここで予備補給食を購入すべきでした。深夜のR153は交通量は殆どなく、3人で談笑しながら最後の超級峠を越えます。何とか道の駅平谷に到着し、24時間空いている休憩所で休みます。ゴールまで十分に時間はあるので和さんはぎりぎりまで寝てから行くとのことで、Mさんが30分程仮眠して、私は急ぐ必要もないので、Mさんが仮眠から起きるまで待って、ゴールまで一緒に走ることにしました。平谷をすぎるとR418を上矢作まで下り、R257に出て、しばらく走ってK33の大馬渡峠を越えます。途中押し歩きしているTさんに追いつき、声をかけて、先を急ぎます。大馬渡峠を越えてもアップダウンは続き、特に裏雨沢の登りは思いのほか手強く、空腹感を強く感じ始めたので、Mさんに止まってもらって自販機でジュースで糖分補給して何とかしのぎます。雨沢峠ピークの白鳥神社に到着した時、長かった1000kmブルベがほぼ終わったことを実感しました。軽快にR363を下り、ゴールの道の駅瀬戸しなのには8:58分に到着しました。72時間58分の長い旅でした。Mさんも無事完走しました。すでに8人程度ゴールしているようで、一番の人は私よりも15時間早い58時間でゴールされたようです。三船さんではなく、一般の方が一番着でした。

今回の1000kmは28名が出走し、6割の17名が完走し、11名がDNFでした。総獲得標高は13000m程でしたが、登りは前半と後半に集中し、特に後半の登り、中でも麦草峠がかなりの難所でした。個人的には2回目のパンクと宿に無駄に長く滞在してしまったことが反省点です。400kmすぎてからの8時間マージンをそのまま宿の時間に充当するのが定石のようです。今回11時間の宿滞在はのんびりし過ぎました。 

スタートとPC3でしか会わなかったikarugaさん、パンク修理を見守ってくれて、途中一緒に走ったTさん、たびたび一緒に走り、一緒にゴールしたMさん、PC4から平谷まで一緒に走った和さんには感謝です。道中大いに励まされました。そしてコロナ禍の中、開催してくれたAR中部のスタッフの皆さんにも本当に感謝です。今回、少し小雨には遭いましたが、ほぼ天気が良かったことにも感謝です。

今年は10月にRC名古屋の400km、AJ静岡の600km、AR中部の300kmを走ります。有終の美を飾れるようにしっかり準備し、走っていきたいと思います。